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東京地区研修会 20回の足跡をたどる

                       大出 雅一

 

 昭和50929日に読書会を立ち上げた。そしてその年の1226日に第1回研修会を開催することになった。当時は東京地区にも森信三先生の薫陶を受けた立派な先輩の方々がご健在であった。その方たちの、読書会のみならず研修会を開いてさらに学びを深めたいという願いと、森信三先生の地方研修会開催へのお勧めもあって、読書会世話人の小島真樹、市川英俊、大出雅一の3人が相談して開催へとこぎつけた。

 

1.研修会開催の留意点とその内容

(1).開催時期

 20回の研修会開催時期をみると、13回、210回、32回、41回、124回となっている。14回目以降は2月の第4日曜日に固定している。

 開催時期については、これまで何回か話題になったことがあった。もっと気候が温暖なときの方が参加者にとって良いのではないかというのである。しかし埼玉北部地区が夏季の研修会を行っていることを考えると、隣接の東京地区では、冬季でも良いのではないかという考えに落ち着いた。

(2)1日か12日か

 一泊二日の研修会は五回実施した。中央の本部研修会が二泊三日研修会だったので、せめて一泊二日ぐらいはという気持ちがあった。また遠方よりご参加の方にも便宜が図れるのではないかと考えた。そして十回、十五回という節目の回には少し規模も大きくと考えた。しかし、十六回以降は、一日研修会に固定した。

(3).研修会会場の選定

 はじめのうちは各所に変わった。九回以降、十九回までは新宿コズミックセンターに固定した。借用許可が得やすかったからである。けれどもこの会場は最寄りの駅から少し離れているので、必ずしも望ましい場所とは言えなかった。五回と十回の会場の神楽坂エミールは交通の便もよく、最寄りの駅からも近いので、今後はこの会場に固定しようと思う。

(4).講師・実践発表者の選定

 研修会の最大の課題はここにある。私どもの学ぶ課題に応えてくれる人か、講師料は如何ほどか?これは切実な問題である。このことについては東京地区の同志はもとより、埼玉北部地区の重鎮林芳和先生。深耕研鑽会主宰の福原宣明先生、玄の会主宰の島根光先生にも、ご助力いただいた。特に林先生には、講師と実践発表者の紹介を含めて大変お世話になった。

 講師と実践発表者の発掘は幅広い人脈と信用がなければ不可能である。出来る限り各地の研修会に参加して講師・実践発表者の発掘への努力を怠ってはならないと考える。

(5).会員紹介

 二回目の研修会から始めた。三十分足らずの時間では十分な紹介ができない。各地で真摯な実践を続けている方や、初参加の方に絞って挨拶やお話をうかがっている。話に熱が入り、時間が長くなって司会者をひやひやさせることもときとしてある。

(6).懇

 五回目の研修会から始めた。はじめの頃は参加者も多くはなかったが、回を重ねるに従って増えていった。研修会参加者の三分の一ほどから二分の一となり、さらに三分の二以上になり、四十名を超えることもあった。研修会での交流が十分できなかった分、懇親会ではそれが補える。綱沢昌永先生は、「懇親会は裏の研修会である。表の昼間の研修会と裏の研修会の両方あることが大切である」と言われた。会員紹介で話す機会のなかった人もここに機会がある。この場に集う人々は和気あいあいの雰囲気のうちに心を開いて語り、さらに深い交わりができる。

(7).実践発表

 講演が実践への総論であるとすれば、実践発表は各論である。東京地区の会員が発表したことも何回かある。しかし大部分は林芳和先生のお世話による、埼玉北部地区の現場の教師である。さすがに発表者の実践には納得させられ、啓発された。森教学の実践者の真の姿を見て参加者はいつも啓発される。

(8).メインテーマの設定

 これについては毎回心遣いをしている。表現は異なっても内容は、森信三先生の教えに学び、実践に努めようということである。七回目にはメインテーマは設けていなかった。決まらなかったのである。

二.研修会の歩み

 第一回研修会

 読書会を立ち上げるにあたり、如何なる人々に呼びかけたら良いか。当初は皆目見当が付かなかった。そこで当時実践人の家の常務理事をしておられた端山護先生にお願いして、森信三先生の教学に学ぶ先生とご縁のある方、また「実践人誌」購読者で東京地区に在住する方の名簿を送っていただいた。研修会の案内にもその名簿を利用した。五十三名の出席者の中には、寺田一清様をはじめ林芳和、島根光、西本五朗、小野寺功、福原宣明、田辺留蔵、岡田滋雄の各氏をはじめ、錚々そうそうたる方々がおられた。

 講師陣は四人ともそれぞれの分野の第一人者たる実践者であり、思想の持ち主であった。おかげで好評のうちに終えることができた。

 第二回研修会

 この研修会は一泊二日であった。講演と実践発表の外に分科会と地域懇談会を設定した。

 分科会は「家庭のあり方」「全一学を如何に普及浸透させるか」「学級づくり」「森先生の教えと経営」の四つであった。それに問題提起者をお願いして実施した

 地域懇親会は「千葉純子先生を囲んで」「三輪真純先生を囲んで」「佐野茂雄先生を囲んで」の三つの班を設けた。参加者は特に地域の枠にこだわらずに集った。各先生方との実りのある語り合いができた。

 この研修会の名称は「関東冬季研修会」となっている。東京地区よりももっと広い地域に参加を呼びかけようとした。この名称は四回目まで続いた。

 以後五回、六回目が「関東地区研修会」七回目から「東京地区研修会」となった。

 第六回研修会

 北は青森、岩手、宮城、南は兵庫、愛知の遠方から参加があった。この研修会で寺田一清様は東京読書会の活性化のためにと、郷内末吉氏を送り込んでくださった。お陰で読書会も出席者が増え、文字通り活性化した。

 またこの研修会には徳永康起先生のご令兄の徳永宗起様にもご参加いただいた。宗起様はその時、故徳永康起先生の紺色のダブルの背広を着て来られ「これは康起が着ていたものです」といわれた。ご令弟を思う宗起様の心に打たれたのを覚えている。この時宗起様は東京瑞穂町にお住まいであった。

 研修会終了後、折から話題の「竹井美術館」へ行く計画があった。会場の最寄り駅の大宮から東北新幹線で四十分ほどのところにある黒磯駅から、更にタクシーに乗り十分ほど行ったところに美術館はあった。参加者は九名であった。

 ルオー、モジリアーニ、セザンヌ、ブラマンク等ヨーロッパ巨匠の画家の絵があった。印象に残ったのはルオーの絵が二枚とも厚い防弾ガラスで護られていたことだった。竹井博友氏が私産を注いで収集しただけのことはあると思った。

 第十回研修会

 十回という節目を記念して一泊二日の研修会とした。福岡、香川、静岡という遠方からの参加があり、潟香[ヤルからは11名の参加があった。お陰で参加者は五十九名というこれまでの最多を記録した。

 第十二回研修会

 福島県白河市で「立教志塾」を主宰された岩渕克郎先生が参加された。この塾は白河市在住の有志の「まちづくりは人づくりから」「人づくりは吾づくりから」をスローガンに掲げる勉強会で、平成元年開塾された。先生は有志の方々に推されて塾頭になられた。先生と森信三先生とのご縁は、昭和十四年「満州建国大学在学に始まる」と言われた。あごヒゲを伸ばした凛とした風格の方であった。先生は惜しくも物故された。

 また岩手県の教育長をされ、かって森信三先生がその教育活動を絶賛された釜石学園に奉職されていた須藤佶先生にもご参加いただいた。お二人の先生方においでいただき、まことにありがたいことであった。

 第十四回研修会

 講師に予定していた神渡良平先生が散歩中に転んで怪我をされ、研修会にはおいでになれないという連絡があった。研修会開催の時期も迫っていたし、案内を発送した後のことだった。どうしたものかと困惑した。そこで「実践人の家」理事長の田中繁男先生にご相談した。先生はこの研修会にご出席の予定であった。この期に及んでは先生に講師をお願いするしかなかった。先生は私どもの苦衷を察してくださり、講師を引き受けて下さった。本当にありがたいことであった。

 この研修会には韓国の李政基先生をはじめ、沖縄から二人。鳥取、静岡、宮城と遠方からの参加者があり、初参加も十一名と、これまでの最多となり、研修会参加者の半数を超える三十四名が懇親会にも顔を出してくださった。

 第十五回研修会

 十五回という節目の会でもあったので、一泊二日にした。参加者は二十回の中で最多の八十七名であった。李政基先生はじめ沖縄、静岡、宮城、福島からの参加もあった。第九回研修会の講師をしていただいた大森覚道先生も参加された。懇親会参加者四十一名。

 第二十回研修会

 第十回の研修会では寺田一清様に「師教に導かれて」の演題でお話をいただいた。二十回目もぜひ森信三先生のお話をと思っていた。

 昨年は林芳和先生の主宰する「埼玉北部研修会」に出席させていただいた折り、先生より森迪彦様にお引き合わせいただいた。これぞチャンス到来と思い切って森迪彦様に、「東京地区二十回研修会で、森信三先生の話をしていただけないか」とお願いしてみた。すると「やります」とのお返事をいただいた。心より感謝した。森信三先生のお話を直接身内の方から聞けるというのは参加者にとっても望外の喜びのはずである。

 また藤本照夫先生には、参加者全員に「二宮金次郎遺蹟めぐり〜文と写真で綴る尊徳翁への想い〜」のご著書をいただいた。先生は東京大田区で犬猫病院を開業され、東京都獣医師会監事である。心よりお礼を申し上げたい。

 遠方から参加してくださった方々(割愛)

 

三.研修会の反響(割愛)

 

四.二十回の研修会を振り返って

 気が付けば二十回も研修会を行っていたのだというのが実感である。記録を読み返してみると、研修会のさまざまな場面やその時の感動が蘇ってくる。そしてそれらの感動が、何らかの形で、今日のものの考え方や生き方の土台となっていることにも気付かされる。「研修会を続けて来てよかった」この思いを実感している。それは森「全一学」をさまざまな角度から学ぶことにも通じるからである。

 森信三先生は「地下水的真人」という言葉を使われた。世にひろく名が知られなくとも、一道にひたむきに取り組み、それが心ある人々を感化している。研修会の講師や実践発表者には、このような方が大勢おられた。この人たちこそまさしく「地下水的真人」であったと考える。

 鍵山秀三郎一日一語に「十年偉大なり 二十年畏るべし 三十年にして歴史なる」の言葉がある。どんな些細なことでも本気で続けると思いがけない大きな力になるとこの解説で言われる。二十回を経た東京地区研修会が真にコトバに値すればよい、と願っている。

 最後に東京地区の活動を支えてくださった方で、故人となられた方々のお名前を記し、感謝とともに御冥福をお祈りしたい。(敬称略)

 加藤善徳、曽根常吉、松山隆之助、鈴木浦次郎、桜福の助、橋本秀一、大本利明、田辺留蔵、岡田茂雄、岩田初美、森崎民造、富塚れい子。

 森信三先生の著「修身教授録」に「成型の功徳」の講がある。そこには次の言葉がある。

 「すべて物事というものは、形を成さないことには、十分にその効果が現れないということです。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなつまらないと思われるようなものでも、それ相応の効用はあるものだということです」

 また以前寺田一清様からも「記録をきちんと残しておくことが大切ですよ」と言われたことがあった。東京地区研修会の足跡をまとめてみてこれらの言葉を今回ほど、痛感したことはなかった。記録の保存が悪く、散逸したものもいくつかあった。自分の人生の取り組み方の反映であると反省している。今回の研修会の足跡のまとめを通して少しでも自分の姿に気づかせていただいたことに感謝したい。

 





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