森信三の世界:社団法人実践人の家
「人生二度なし」
如何に生きるべきかの根本真理の世界へ
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森 信三 先生 堂 守 り 記 (「実践人誌」より抜粋)

1.第216号「巻頭言」趣意書 (昭和49年6月号)「実践人の家」建設について全国の同志道友に訴える
 師森信三先生には、これまで幾たびとなく人生における最も深刻、かつ悲惨な運命に遭遇されながら、はかり知れない強靱な意志力と信念をもって、それを乗り越え克服してこられました。そのすさまじい生き方と気迫の強烈さには、ただ畏敬の念を深めるばかりです。
 古稀をはるかに越えられた先生が、晩年の最後の地と思い定められた尼崎市西立花町の地を本拠として、何らの憂いなく研究と実践に専念せられるとともに、危機的状況にある現下の教育界のため、さらにまた危殆(きたい)に瀕した民族の将来のために、同志道友の心の拠りどころとして、ますますご健在でご活躍くださることを念願しております。
 尼崎を中心とする同志の方々のお世話により、現在の地から北ヘ二○○米のところに、土地の入手購入を確保しておられます。
 それ故この好機を逸せず、そこへ「実践人の家」を建設し、先生永住の住み家としていただくと共に、同志道友の精神的なつながりの中心を、場処的にも確立して、全国の同志道友の連絡、研修および森先生から直接ご指導をいただく「場」としたいと念願している次第です。同時にこれはまた森先生としても、生涯における最後のお喜びかと思われますので、この願いをぜひ実現して、積年の師恩に報いたいと思います。
 つきましては、出費ご多端のおりから、まことに恐縮ではございますが、ビうか以上の趣をご了察いただきまして、左記の構想につきご協力賜わりますよう、同志一同、心からお願い申しげます。
昭和四十九年七月一日
「実践人の家」建設委員会

2.217号「巻頭言」 (昭和49年7月号) 今生における最後の祈り
 このたびの「実践人の家」建設の企画は、わたくしにとっては、正しく今生における最後の、そして「最深の祈り」だということが、日と共に、しんしんとして五躰の端ばしにまで痛感せられる昨今である。わたくし自身文字通り丸裸になって、辛うじて一千万円を工面することが出来たが、しかしそれで求め得るのは、わずかに「土地」だけであって、それこそ柱一本、瓦一枚の代も後に残らぬことを思うと、今回の企画が如何に重大なものかということを、今更のように痛感せしめられるのである。しかしながら、それ以上に痛感せられるのは、全誌友諸氏へのご協力の懇請であって、それはも早懇請などというコトバなどとは天地懸隔して、文字通り「祈り」という外ない大拝業というに値いするものである。わずかに十巻程度の『著作集』でさえ、かなりな出版社でも相当な大仕事らしいことを思う時、今回の「実践人の家」の建設は、それがわたくしの「身根」に徹する重さにおいては、「全集」とほば等しいといえるかと思うのである。同時に「全集」刊行の際にもわたくしは、養父がわたくしの為に…と求めて置いてくれた土地を売却して、その一部を投入したが、それは今回の貨幣価値に換算すれば、奇しくも、今回の土地代とほぼ匹敵するといってよい。しかしそのお蔭で、わたくしの貧しい生涯の歩みも山縣三千雄教授との奇しき廻り逢いにより、今回「光」を当てて戴くことが出来たのである。その為か、最近まで、ごく一部の業者以外にはほとんど顧みられなかったわたくしの『全集』も、最近急に業者の間で問題になり出したとのことである。同様に今回の「実践人の家」の建設によって、まるで地下水の様に互いに連繋し合って来たわれわれ同志の幽かな努力も、陽光に浴する期も無いとはいえないであろう。その時には唯一冊の書物に過ぎないが「契縁録」のもつ意義もあるいは顧みられるでもあろうか。同時にそう考えると今度の「実践人の家」が首尾よく完成した時には、かねて懸案となっている『続契縁録』も出さねばならぬであろうし、又『全集』の「補巻」数冊も刊行の搬びとなることであろう。だが、これらの一切は、ひとえに今度の「実践人の家」を基盤とし、それを土台としてのみ可能なことと思えば、これこそは私にとって「今生における最後にして最深の祈り」というべきであろう。切に全誌友諸氏のご協力を要請して止まない次第である。

3.第218号巻頭言 (昭和49年8月号) 生きながら「香資」を受けて
〜端山護君との電話のやりとり〜
 つい二、三日前のことである。端山護君から電話があって「先生!こんどの゛実践人の家≠ノ対する同志の方々のご支援は全く予想を越えたというよりも、予想を絶したご支援ぶりですね。それというのも多年先生が、広く全国の同志道友のために尽してこられた為で、こんどの企てこそ、今生で先生にお報いする最後の機会だということが、それとなく皆さんの心の中にあるからでしよう。
 要するに失礼な言い方をすれば、「ご生前に゛香奠≠」というお気持ちではないでしようか」云々というのであった。
 そこでわたくしは、「失礼どころか全くその通りで、その点については本人のわたくし自身が一番よく心得ているつもりですよ。イヤそれどころか、大ていの方が、゛香奠≠フ四・五倍から、多い方は三十倍五十倍も出し下さっているのですから、とても゛香奠≠ヌころの比でないですよ。それ故わたくしとしても、せめてもの心やりにと、この夏休みには、毎日海星女子大の研究室へ日参して、毎日平均十時間前後を『幻の講話』の仕上げに没頭している次第です」云々。(後略)

4.神・天の報償を畏みつつ  219号巻頭言 (昭和49年9月号)
 「無償」の努力というものは、それが如何にささやかであっても、深い意義があるということは、わたくしの様な人間にも肯づかれることである。だが、わが身を顧みて、はたして如何ほどまで、そうした「無償」の行為をしているかということになると、俗悪凡夫のわたくしには、ほとんど「無償」の行為といい得るほどの事は、何一つ出来てはいないのである。
 たとえば誌友諸氏からほとんど毎日送られる文集などに対しても、忙しくて疲労困憊こんぱいしている時など、時には一片の読後感を書くことさえ、時に負担に感じる場合もないわけではない。というのも、どうしても書かねば、人間としての「義理」を欠くような返信が山積しているからである。だが、せっかく骨折ってガリ切りをし、そして印刷し、さらに一部につき二〇円という高い送料を払って送られた同志の人々の心情を考えると、たとえ数行の簡単な読後感にもせよ、ヤハリさし上げた方が、心にはずみがつくかと思い返して書く場合も少なくはない。しかしこうした気持ちで為した行為が、はたして純粋に「無償」の行為といえるであろうか。わたくしには判らないという他ない。
 その様なわたくしにとって、わずかに「無償」の行為といいうるものといえば、結局自分が乗り降りする国鉄「立花駅」の、プラットホームの紙屑を拾うことくらいしかないと改めて思い知らされるのである。それ故わたくしは、この地上において自分の様な者にも可能な唯一の「無償」の行為と思って、それを続けているわけである。実際駅の紙屑拾いなら、何らの報償もないから今日まで気軽に考えて来たわけである。
 然るに今度の「実践人の家」の企てを発表して以来、この点に関する考えが変り出したのである。最初の間は唯々驚歎と感謝に明け暮れていたわたくしであったが、最初の予定の一千万円を突破してからは、これまで私がたった一つの「無償」の行為と信じていたことが、今やそうではなくて、それが全国の同志道友諸氏を通して、行われる神・天の報償だということに想到したのはつい最近の事であるが、ひと度この点に想い到るごとに、無限の感慨に打たれて全くひれ伏す他ない。
 だがそれにしても、過去二〇年来「南千里」から「立花」へと私が駅のプラットホームで拾った紙くずの量に対して、これは何という莫大な天の無償の報償であろうか。ただただ首を垂れて同志道友諸氏を通して働きたもう神・天の御心のほどを憶念せずにはいられないのである。
 かねて建設委員長の足立英二氏から、参院選後の物価暴騰と書庫の拡張及内部設備のために、最初の予定の一千万円を遥かに超過して最低千五百万円はかかりそうだと知らされて以来、日夜懊悩おうのうの日々を送ってきたが、今や神はすべてを見通して、同志道友諸氏の上に働きかけ給いつつあるこの巨大なる報償に対して、今はただ首を垂れてひれ伏すのみである。

5.229号巻頭言 (昭和50年8月号) 日々を畏れの中に
 そして日に何回かは「こんな結構な身にして頂いて、何か罰でも当らねばよいが…」と思う昨今である。昨日も端山君が帰りに「どうも先生は文字通り゛至福≠ニいえそうですね」といわれたが、全くその 「実践人の家」の落成式は、かねて予告のように、七月六日の午後一時半より執り行われたが、当日は京阪神の同志はもとより全国各地からの同志の参集によって、予想以上に盛会裡に終了する事ができた。同時に、すでに数日前から尼崎グループの人々により、家具家材が新居に搬ばれていたので、そのままその夜から「実践人の家」に起居する身となったのである。
 そして自来今日まで約二ヵ月を新居に起居しているが、あらゆる設備が、文字通り到れり尽せりなので、「申し分がない」などという程度のコトバでは到底尽し得ず、唯ただ恐れ入っている…という以外表現の仕様のない日々を送らせて頂いているのである。
通りで、共同生活をしている同君にして初めてこの言ありとの感を深くした次第である。
 だが同時にわたくしとしては、単に「至福」という感慨に酔い痴れていては相済まぬわけで、その背後というか根底には、「勿体ない」どころか、「日々を畏れの中に」過しているというのが偽らない実感である。即ち「こんな結構な身にして頂いて、これでマア罰が当らずに済むものだろうか」というのが昨今のわたくしの正直な感慨である。勿論これは、いう迄もなく一個人としての私のみが亨受すべきものではないわけで、私は「実践人の家」というこの公共の建物の中に置いて頂いているいわば一種の管理人であり、もしそこへ多少の精神的意味を付加すれば、一種の「堂守り」というわけである。同時にこの辺に心の腰をすえる事によって、初めてわたくしにも、多少は心の落ち着きが得られかけた様である。

6.231号人生よろず相談所 端山 譲 (昭和50年10月号)
 「実践人の家」にご厄介になってから、はや満二か月を経過した。その間日々森先生から教わったことは数限りなくあるが、この頃とくに感ずることは、「実践人の家」は「人生よろず相談所」だということである。勿論これまでとても、森先生は最高の人生コンサルタントだと思ってはいたが、それよりも、「人生よろず相談所」の主人といったほうが、ぴったりする。
 つまり庶民の老若男女のだれにでも気軽に応対されて、心ゆくまで親切に教えられる。実に近づき易く話しやすい。それが「よろず相談所」の主人たる最上の資格と云ってよいだろう。
 先生は人生の悩みごとについて…たとえば家庭の不和、夫婦問題、子供の非行防止から、健康の問題、職業に関する問題、子供のしつけ教育、宗教や信仰の問題等々、どんなことでもテキパキとさばいてゆかれる。まったくよろず相談所長と云ってよい。
 「実践人の家」というと、「生長の家」の連想からか、新興宗教の一種かと思って訪ねて来た人もある。勿論それらの人々をも心ゆくまで納得させて帰らせられたことは云うまでもない。先生にもし欠けているものがあるとすれば、弁護士の扱う訟訴事件ぐらいであろうが、これとても民事問題なら、弁護士以上の明快な指示をされること請合いである。
 このニヶ月間だけでも、まったく未知の人が、七、八人も飛び込んできたが、何れも満足して帰られたことは云うまでもない。今後もこうしたことは、ふえるとも決して減ることはないだろう。これ程の「人生よろず相談所長」は、日本広しといえども、そうめったにあるものではない。「実践人」の同志諸兄姉よいつ何時でも「実践人の家」に飛びこんできてほしい。これが「番頭」役としてのわたくしの希いである。

7.233号巻頭言 (昭和50年12月号)  新たなる年を迎えて
 昨年という年は、わたくしにとってはまことに生涯難忘の年であった。それは今さら言うまでもなく、全誌友諸氏のご懇情によって、この「実践人の家」が恵まれた年だからである。それによって独りわたくしという一個人の晩年の「生」が、その最後の安住楽在の居を与えられたばかりでなく、広く同志諸君に対しては、集会、宿泊、研修の「場」が恵まれたわけであって、これほどの深い悦びは、永い生涯においても、かつて無かったことである



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